Nachzusinnen......

夕日

秋ですから。しんみりモード。
今日は体育祭だった。我が家の前にある学校(母校)で。ずっと自宅にいたが、朝からむちゃくちゃうるさかった。去年までの6年間*1経験してきた体育祭と変わらない音声が聞こえてくると、たまらなく懐かしかった。あぁ変わってないんだなーとどこかホッとする様な。応援合戦の声、勝利を喜ぶ悲鳴のような声、放送から聞こえる先生の声…と色々。話に聞くところでは、実際はうちの学校にあった「伝統」みたいなものはかなり後輩に打破されてしまったようだ。その打破するきっかけを作ったのはうちの学年で、古臭いと「伝統」を嫌がって反発していたくせに、今ではどこか悲しいような気もする。それでも、体育祭のプログラムの最後にある高3の演技の後、退場するときに高2から高3に向けて感謝とお疲れ様のメッセージを送るという習慣は健在だった。高3に向けた歌を聞きながら、彼らももう卒業なんだなーと実感した。去年、体育祭の閉会式で真っ青な空を見上げながら校歌を歌った時に感じた、体中に充ちる充実感と疲れ、そして終わってしまったというどこか寂しい感じ、あの清々しい気分を経験することはもうないのだと思うと、非常に惜しい事をしてしまったと後悔する。たった1年で感じ方がこんなに変わるだなんて当時には思いもよらなかった。高校生という人生において特別な時間を、もっと大切に過ごせばよかった。あれほどまでに友人との結びつきが強くて濃密な時間を持つことは、今後あるのだろうか。友人との様々な馬鹿げたやりとりさえも、非常に価値のある物に思える。大学での人間関係は高校でのものを較べて、ずいぶん希薄だ。もし高校生でここを見ている人がいるなら(いるのか?)、受験勉強とか大変だけど、「今」を大事にして欲しい、と思う。高校生っていう貴重な時間はもう2度と無い。(偉そうにスイマセン^_^;)
そういえば、高校卒業してから、本気で走ってないなぁ。“走ることだけを目的とした走り”ってのが今の生活に必要ないのだが、でもいつも時間に追われて走ってる気がする。余裕無いんだな・・・
体育祭に関連して思ったけど、高校時代の友人と殆ど(全くに近い)連絡を取っていない。学校に一番近い所に住んでたくせに学年内でかなり行方不明(笑)今の中途半端な自分の身分を説明するのが嫌だってのもあるし、たぶん気分的に耐えられない。だから意識的に会わないように、連絡を取らないようにしている。でも結構頻繁に(書き込まないけど)高校の学年の掲示板を覘いてる自分が哀れだ。大学での友人はたくさんいても前に書いたとおり人間関係は浅い。(12年間も一緒に過ごした友人達と較べるのが間違ってるが。)元々一人で勝手に行動することが多い人間だが、どこか淋しい。それは今の大学に心かな馴染んでいるわけでは無いからなのかな。(決して友人が少ないとかいないとかでは無いから!!)

長々といらぬことを書いてしまった。。。
10/14の豆さんの日記、すごくずしっときました。
明日は友人(先週ドタキャンされた人)に会うために午後から出かけないといけないので、今日は色々やってから寝ます。彼女に会うのは半年ぶりで楽しみではあるのだが、正直面倒だったり・・・(ごめんなさい)数学(確率・微積)化学新演習(天然高分子)やります。